N響80年全記録

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とても面白い本を見つけて、一気に読みました。

「N響80年全記録」(佐野之彦著・文藝春秋)

わが国を代表するオーケストラ、NHK交響楽団の歴史を、膨大な資料や関係者へのインタビューをもとにまとめたものです。

N響の歴史は、わが国の管弦楽団の活動の歴史そのものとも言っていいものでしょう。
第二次世界大戦の、度重なる東京への空襲の最中も、一度も定期公演を休まなかったということは、以前から知っていましたが、その背景は、このようなところにあったとのことです。

 日響(注・N響の当時の名称)が休みなく定期公演を続けられたのは奇跡的といえるが、彼らにとって、その演奏を電波に乗せて放送することはさらに重要な仕事だった。それは、「まだ日本は生きているぞ」という虚勢ともとれるメッセージでもあったからだ。
 したがって、たとえ放送中に空襲警報が発令されても、楽員と技術者たちは退避を許されなかった。中止すれば東京が空襲を受けている、もしくは壊滅したことが敵国に分かってしまうからだ。(第二章より引用)


その他、全編にわたり、興味深い話題が満載なのですが、何より面白かったのは、1950年9月21日と22日、第319回定期公演における、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の日本初演についてです。
音楽史上燦然と輝くこの名作の日本初演の指揮を担当したのは、このブログでもたびたびとりあげてきた(1)山田一雄指揮・京響~マーラー「復活」CD発売(2) マーラー「復活」~ノリントンと山田一雄、ヤマカズさんこと山田一雄(当時は「和男」)さんです。

その際のエピソードは、以下のとおりです。

「最後の部分で、演奏がめちゃくちゃになりました。誰がどこで何をやっているのかわからなくなった。もちろん、指揮者の山田さんもわからない。・・・打楽器が支離滅裂になっているので収拾がつきません。・・・それはもう、阿鼻叫喚の音楽でした」
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シンバル、大太鼓が強引に大音響を奏でて演奏は止まり、収拾がついたことにして公演は終了した。
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二日目になっても改善はされず、大混乱は繰り返された。
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公演が終わると、楽員の間で喧嘩が始まった。・・・飲みながら責任の押し付け合いは延々と続き、こちらは演奏とは違って果てることなく続いた。
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翌月の大阪公演では、ファゴットが出どころを誤り、それがきっかけでオーケストラは迷路に入り込んだ。・・・
「ヤマカズさんもまた曲の中で行方不明になっちゃいまして、明らかに慌てふためいている。しかし、指揮をしながら『いま、どこだ?』って尋ねる声が聞こえたときにはさすがに青くなりました。・・・このままではいつまでたっても終わらない、と思っていたら、トランペットの中村鉱次郎がキッカケの音を出してくれたので助かった。それが道しるべになってようやく全員揃うことができたんです」

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「僕があのとき吹かなかったら、日響は一晩中『ハルサイ(春の祭典)』をやっていたよ」とは、中村の後日談である。(第三章より引用)  

・・・いったい、どんな演奏だったのか、聴いてみたいです(苦笑)。
NHKには、録音が残っているのでしょうが、永遠に放送されることはないでしょうね。

ちなみに、「春の祭典」のスコアはこんな感じです。

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今となっては、この程度の曲はプロのオケなら難なく演奏しますし、指揮者も手馴れています。
大友直人さんなんて、暗譜で指揮棒も持たないで、軽々と指揮していますね。
このように、一小節ごとに拍子が変わる曲の場合、指揮は大きく振るよりも、打点がはっきりしていることが何より大切なのでしょう。
ヤマカズさんのように、指揮棒だけでなく、肘や肩、首、腰、さらに膝まで使って音楽を表現しようという方には、ちょっと向いてなかったのかもしれません。

これ以外にも、ご紹介したいエピソードが満載の、オーケストラ好きには必読の書籍です。

N響80年全記録

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